かの魚を氷下魚とよびし夕かな 透谷の死に方はうれん草ゆでる 本の山くづれて遠き海に鮫 初夢や林の中の桜の木 かげろふやバターの匂ひして唇 蛇口の構造に関する論考蛭泳ぐ さらしくじら人類すでに黄昏れて |
『砧』 (昭和六一年刊) 昭和五二年〜五四年 | |||
むつききさらぎ蒟蒻たべてただよへり 湖の島に人ゐる春のくれ 白地着て婆と娘と島の中 寒声は槐の瘤にとどきけり |
昭和五五年 | |||
馬の眉間の白ひとすぢや山始 ゆたんぽのぶりきのなみのあはれかな 立春の佛蘭西麺麭の虚かな つばくろや匙の地金の現はるる 九十鉄斎九十北斎春の蠅 雨乞や亀の甲羅に二三言 姉若く妹老いぬ夏蜜柑 空中に虻とどまれり恋人来 ざりがにあまた中の二匹の争へり |
昭和五六年 | |||
修奈羅峠のお金の神様肩まで雪 ぶらんこ揺れだすわれの漕げるに隣れるも 鉄灼け木も灼け滑台一基 浅蜊の舌別の浅蜊の舌にさはり |
昭和五七年 | |||
金絲魚の金が尾鰭の先までも 春闌けぬ深き谷より女連れ ねとねとと糸ひくおくら青春過ぐ 馬の尾のうるさうるさと夏藜 杉の実や魔羅重さうに土地の馬 川靄の町へなだれて送盆 虚子もなし風生もなし涼しさよ 胡麻かける胡麻のおはぎを積めるうへ 学僧の百姓面や帰り花 青空の常念岳や畳替 |
昭和五八年 | |||
春の子のくつついてゐる眉と眉 湖のあらなみどきの桜漬 「はい」と言ふ「土筆摘んでるの」と聞くと 青葦のゆらぎうつりのゆらぎをり 水溜めて虚子てふ文字墓参 水吸へるアヲスヂアゲハ奈良の秋 甜瓜やまとくにはら見わたせり 観音に秋立つ朝の水一杯 観阿弥一座里芋村に旗上す 芋虫のまはり明るく進みをり |
昭和五九年 | |||
みちのくのおほてらの池普請かな 中尊寺能楽殿のみそさざい 海鼠突く銛を持たせてくれたるよ 涅槃図の貝いかにして来たりけむ 甘茶佛肌すみずみまでぬぐふ ふはふはのふくろふの子のふかれをり |
昭和六〇年 | |||
子燕のこぼれむばかりこぼれざる 夏芝居監物某出てすぐ死 |
『立像』 | |||
メリーゴーラウンド百鞍すべて晩夏の人 桃の葉のくたぶれゐるや桃実る 窓あけば家よろこびぬ秋の雲 |
昭和六一年 | |||
露の玉考へてをりふるへをり 生ける蝦蛄茹でたる蝦蛄に水とばす 遠足バスいつまでも子の出できたる |
昭和六二年 | |||
橙朱欒鏡のなかの橙朱欒 人抱けば人ひびきける霜夜かな 治聾酒にはじまりすでに深酒に 韓国の靴ながれつく夏のくれ 蛸の恋かたみに足を網目より 青山椒泣く子にかひなありにけり すでに遠し玉虫飛ぶと声出せば 無花果割る親指根元まで入れて |
昭和六三年 | |||
オンザロツクス鱸も腹子もつ頃ぞ 湖の氷解くるを聞きに来よ 遍路宿小学生のとびだせり 負軍鶏の焚火の端をつつきけり |
平成元年 | |||
噴井愛しぬ噴井に眼鏡落すまで 是是非非もなき氷旗かかげある 貧乏に匂ひありけり立葵 死を想へ極彩色の浜草履 色ありて三和土の鞠や秋のくれ 墨書短信神在の出雲より |
平成二年 | |||
友死すや啜りて牡蠣のうすき肉 霜晴や酒も肴も越のもの 透明の合羽に遍路衣かな いま買ひし花付胡瓜今かじる みちのくの雨に七夕かざりかな 老人の首にタオルや鶏合 |
平成三年 | |||
冴返る袋に透けて買ひしもの 帰るべき山霞みをり帰らむか 京吉野けふ高遠の櫻人 水底のけぶれるさくらうぐひかな 山吹の花弁不壊なり石の上 夏帯や噛めば音あるもの食うべ 公式のうつくしく夏果てむとす |
平成四年 | |||
一谷の羽虫痴れたる吾亦紅 晴昊や白砂に置いて鯊の顔 水晶の大塊に春きざすなり 甲斐駒の一巌や辛夷咲く 炎天の一点として飛べるなり 一太刀に穴子の頭飛びにけり 新松子南に海見て育つ |
平成五年 | |||
大阿蘇の寝姿に月出づるなり 舌荒れてをり猟銃に油差す 潺潺と冬泉あり土葬村 大寺のいくつほろびし日向ぼこ |
平成六年 |